正義と善

第二試論
正義と善―政治哲学的形而上学への試論
第一編 序―政治思想の変移と現代における論争の勃発
一口に「政治哲学」と題しても、現代においてはその様相は実に多様であり、経済・法など、様々な分野を巻き込んで論争を巻き起こしている。これは一方では政治哲学の「複雑化」ではあるのだが、他方では「価値観の多様化」を生み出した。それによって「政治とは何か」という問いから一線を引いて「政治はどうあるべきか」という理想が論理的に主張されるようになり、政治的イデオロギーはより深化を始めている。
おそらくその口火を切ったのはジョン・ロールズの『正義論』だろう(後述)。
一般によく知られていることではあるが、政治学(politics)の語源は古代ギリシアにおける「πόλις(ポリス・都市国家)」にあり、そこでは民主制が採られていた(ただし、この時代の民主制とは女性や奴隷を除いた「市民」として認められた成人男性であることが要件であった)。その時代では詭弁をふるう「ソフィスト」と呼ばれる人々が大衆演説を行い、また自らの知性を世に知らしめることで、「名誉としての徳」を得ていた。
そんな中で神聖なるデルフォイの信託を受け、最も賢いものとしてソクラテスの名が世に出てくる(ちなみに、2番目に判定されたのはギリシア三大悲劇詩人の一人エウリピデス、3番目は同じく三大悲劇詩人ソフォクレス)。しかしソクラテスは自らの無知を自覚しているという知を真理とし(無知の知)、「徳は知である。無知からのみ罪は犯される。有徳者は幸福な人である」〔ニーチェ悲劇の誕生』 岩波文庫157項 秋山英夫訳 よりニーチェソクラテスより引用した命題〕という言葉を残したという。
ソクラテスは自らの著作を残してはいないが、彼の弟子・プラトンによってその言葉は脈々と受け継がれている。そしてソクラテスが死刑判決を受けたのち、牢獄にて脱走を勧める友人・クリトンとの会話(『クリトン』)では、ソクラテスアテナイの国法トン関係にある契約関係があったように思わせる言葉がいくつか登場する。
そしてソクラテスの思想は弟子であるプラトンによって継承される。彼の政治論において最も有名な作品は『国家』であろう。この著作によって、人間観と政治観を結び付けて「どのような社会制度が求められるか」(正義)を探求する体系が成立した。ここでかの有名な「イデア」と「哲人王」思想が登場する。これに対し、プラトンの弟子・アリストテレスプラトンイデア論を批判し、著書『政治学』において現代でも議論の的となっている「目的論」、「配分的正義」、「共通善」を主張し、また「法の支配」に重きを置いた。また彼の教え子が彼の講義を体系化した『二コマコス倫理学』においては、「中庸という状態としての徳・卓越性としての徳」を唱え、「いかに生きるか」(善)を重視した。
※なお、ここにおける「正義」「善」は現代的意義として用いている
プラトンが独裁的な「理想主義」であったとすれば、アリストテレスは法の支配に基づく民主政を良しとした「現実主義」といってもよい。しかしこの相反する二人の思想が、後世に多大な影響を与えたことは言うまでもない。
古代ギリシアが理論的な政治学を志向したとすれば、古代ローマは実践的な政治を志向したといえる。古代ギリシアが民主的な政治を展開したのに対して、古代ローマは「大帝国」を築き、「支配―従属」関係がより広範囲でなされたため、実践的で強大な権力が求められ、さらに異文化との融合が起こったのである(ヘレニズム文化)。そのような「帝国」の中では人々の関心を集めたのは「正義」ではなくて「善」であった。
古代ローマは「共和政時代」と「帝政時代」に分かれる。共和政時代のローマは元老院・執政官・民会がそれぞれ権力の均衡を保っていた。しかし帝政になると、ここから王政的要素が強くなり始める。支配下にある「属州」の反乱などを受けて、王の存在が強く求められるようになったのだ。
やがて、ローマにおいてキリスト教が普及し始める。教会における思想はローマの思想との亀裂を生み、やがて中世ヨーロッパに突入するにあたって「教会権力」と「王権」との二大権力が、時に併存し、時に対立し、秩序は混沌としていた。そんな中で登場した思想が、「スコラ哲学」である。これは、信仰の権威を前提にしつつ、哲学の有用性を主張した。代表的な論者」であるトマス・アクィナスは、アリストテレスの政治的動物樽人間観と政治観を継承し、国家の役割を平和の維持に努めることとした。具体的にはトマスはアリストテレス同様「法の支配」に重きを置く。しかしここでいう「法」は、理性的・哲学的な法と聖書に則った法の融合である。ここで、理論としての政治学が再興する。
しかし、中世ヨーロッパにおいて教権が秩序を統一するに至ると、スコラ哲学は「実在論」と「唯名論」に分かれる。普遍論争である。この論争は後世の思想家をも分かつほど過激なものであった。この論争は時代をも巻き込み、やがてキリスト教的共同体としての秩序を解体させるに至った。教権が衰退すると、王権が優越になる。
ルネサンスを迎えると、思想としての「政治学」は衰退するようになった。すなわち、「正義」や「善」の探究から政治が離脱し、もっぱら「統治の在り方」に主眼が向けられる。その代表がマキャベリ君主論』である。彼は本著において現在進行形な視点を持ち、君主はどうあるべきか、イタリアは如何にすれば繁栄するかといったことを説いた。すなわち、政治とは「思想(ロゴス)」ではなく「技術(テクネ―)」だったのである。そこでは倫理と政治は分断されたものであった。
一七世紀以降、近世に移ると政治思想は一気に多様性を帯びるようになる。そこでは神への依存と離脱・人間観・精神(理性)の本質が多くの思想家によって語られる。政治哲学において大きな議論となり、現代にまで大きな影響を残しているのが、ホッブズ、ロック、ルソー、カントを代表とする社会契約説と、ベンサム、J.S.ミルを代表とする功利主義の対立である。そして社会契約説は歴史的に大きな爪痕を残したが(アメリカ建国、フランス革命など)、功利主義は英語でutilitarianism、「実用主義」とも訳せるように、個人を計算の対象にすることで効率的な国家運営ができるという点で法の運営や経済の在り方にとって都合がよく、普遍的な思想となった。そして政治哲学の議論は収束するように思われた。
しかし現代、二十世紀後半以降に再び議論が活発化する。先述したように、倫理学者・政治哲学者ジョン・ロールズが『正義論』という大著を世に出したのだ。そこでは社会契約説とリベラリズムを前提として功利主義批判、自由と平等が一体となった新たな「正義」の在り方などが精密に論じられ、もちろんリバタリアニズム自由至上主義コミュニタリアニズム共同体主義)、その他多くの哲学者から反論を受けたものの、論的でありハーバード大学教授として同僚だったリバタリアニズムの代表者・R.ノージックすら「『正義論』は、力強く、深く、巧妙で、広範な、組織的作品であり・・・今や政治哲学者達は、ロールズ理論の中で仕事をするか、それとも、なぜそうしないのかを説明するか、のいずれかをせねばならない。」(『アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界』R.ノージック著 木鐸社 嶋津格訳 306項)と述べるほどの絶賛ぶりである。それはまさしく、「哲学」という分野における政治哲学の「復権」である。
日本ではここで登場した思想家たちより、M.サンデルの名前の方が有名ではないだろうか。著書『これからの「正義」の話をしよう』はベストセラーとなった。その中には、アリストテレス、カント、ロールズ功利主義リバタリアニズムなどが思考実験や身近な事例などを通して紹介され、自らもコミュニタリアンとしての主張を最後に行っている。
私は長々とイントロダクションを述べてきたが、ここまでの流れはこれからの論考に非常に重要な予備知識となるだろう。

第二編 権力
1 「権威の力」としての権力
私は第一論文第三編において権威について触れた。私の示した権威の概念は、テリトリーを容易に飛び越え、また雰囲気により生じた距離を無力化するものであった。このような「権威の力」すなわち「権力」は、普遍的に誰もが許されているものとして持っているわけではない。すなわち権力を授かったものには「特権」が与えられる。この特権を得てすれば、権力者は容易に他者の領域に踏み込んで、無意識的な場合もあれば、意識的な場合もあるが、その他者の人格に影響を与えることが許される。したがって、この「特権」が各人の欲求と一致した場合、これをめぐって闘争が起きる。政治的な特権にあってこれは普遍的なものであり、従って「自然状態」が展開される。詳しくは㈡に譲りたい。
2 社会契約説と権力の悪循環
このような自然状態にあっては、普遍的価値を求めてある種の無秩序が展開される。しかし人間には闘争的本能と同時に自己保存の本能が備わっているので、時間の経過とともにやがて紛争解決手段として「権力」が樹立される。それはすなわち、特権を排するか、特権を分割することによることを目指すものであり、行き着く目標地点は「各人に基本的な権利を」である。すなわちそこでは、生命、身体はもちろんのこと、思想・良心の自由、言論の自由といった基本的な権利も含まれる(なお、自由についての論考は第四編にて行う)。こうしてある共同体の各人が互いに対して契約を締結することで、権力を「分け与える」ということである。しかし、権力が各人に分け与えられるということは、私の論理においては循環を招く結果となる。というのも、私は紛争解決手段として権力を「自己保存」のために置いた。しかし、私が示した権威はそれ自体他者が容易に踏み込んでほしくない領域(だからこそ「テリトリー」と名付けた)に踏み込んでゆくことであり、それは第一論文の「テリトリー」の項で示したように、「異質な他者の侵入」、それに対する「敵意」「排除の念」といった「違和感」を覚えさせるものであり、防衛本能が闘争本能へと変化する。この精神現象が普遍化することで、新たな無秩序が生まれ、新たな紛争解決手段が求められることになる。しかし、私が展開した「権威」論は現象的なものであるので、改めて「権力」という特権を欲求するだろう。これは終わりのない循環である。本来紛争を解決するために存在した「権力」が闘争の火種となっているのである。
3 古典的社会契約説、ホッブズ・ロック批判
一七世紀以降のいわゆる「近代」において唱えられた社会契約論を「古典的社会契約論」と名付けよう。そこから、ホッブズとロックと登場させ、彼らを反駁したいと思う。確かに、彼らの政治思想は歴史に大きな爪痕を残した。しかし、彼らの論理はどこかおかしい。
ホッブズは『リヴァイアサン』第一部において、人間について分析を行い、それに基づく自然状態から社会契約への一連の移行を記述している。「だれかの欲求または意欲の対象は、どんなものであっても、それがかれ自身としては善とよぶものである」〔岩波文庫 水田洋訳 一〇〇項〕「欲求とよばれ、その現象についてよろこびおよび快楽とよばれる、この運動は、生命的運動の強化であり、それへの援助であるようにおもわれる。・・・快楽(あるいはよろこび)はそれゆえに善の現象あるいは感覚であり、そして邪魔あるいは不快は、悪の現象あるいは感覚である。従ってすべての欲求、意欲、愛好は、おおかれすくなかれ、あるよろこびをともない、すべての憎悪、嫌悪は、おおかれすくなかれ、不快と立腹をともなう。」〔同一〇二項〕「私は、全人類の一般的性向として、つぎからつぎへと力をもとめ、死において消滅する、永久の、やすむことのない意欲をあげる。そして、このことの原因は、・・・かれが現在もっている、よく生きるための力と手段を確保しうるためには、それ以上を獲得しなければならないからなのである。」〔同一六九項 強調筆者〕―つまり、ホッブズは確かに無秩序な「各人の各人に対する戦争」〔同二一〇項〕を自然状態として、その状態から抜け出すために、「権力」を樹立する。しかし、先の引用の強調部分が真であるとするならば、必然的に革命が起きないだろうか。そして新たな無秩序を招き・・・。過程は違うが、これは循環に陥っている。
次に、ロックであるが、彼の認識論と政治論もまた問題がある。ロックにおける自然状態は、自然法たる理性によってある程度秩序づけられている。「自然法たる理性は、それに耳を傾けようとしさえすれば、全人類に対して、すべての人間は平等で独立しているのだから、何人も他人の生命、健康、自由、あるいは所有物を侵害すべきではないということを教えるのである。」〔『統治二論』 岩波文庫 加藤節訳 二九八項〕―ロックの認識論といえば、人間は本来「タブラ・ラサ(白紙)」であるということで有名だが、だとしたら、理性はなぜここまでの秩序ある状態を「知っている」のだろうか?もし神が自然法を人間に教えているとすればそれはもはや「タブラ・ラサ」ではなく、経験に基づかない、超越論的な自我が既に形成されていることになるだろう。
4 権力の起源とその維持の困難
ここまで社会契約論的な権力論考を行ってきた。私の社会契約論は民主主義を志向するものであり、ホッブズの社会契約論は権威主義を志向するものであったが、共に循環論に陥った。社会契約論は維持段階では難があることを示せたと思われるがしかし、ここまで権力について社会契約説とのみ絡めたのは、権力の起源として契約説こそが最も有力な見解に思われるからである。私は先の古典的社会契約論者のような誤謬に陥ることを避けるためあえて社会契約論の弱点を示した次第である。しかし私の想定する権力論が構造主義的なものであることには疑いの余地がない。
ただ、社会契約論が必然的に権力と結びついてきたのはなぜか、という問題認識は伝わったと思われる。
しかし、ジョン・ロールズが唱えた社会契約論は、権力にはさほど触れておらず、原書状態において無知のヴェールをかぶった個々人が他の政体を採用せず、ロールズの理論が民主主義的なスタート地点を有していたのは、社会契約説には以上のような難点があることが彼の中で意識されていたからではないだろうか。
最も、過去の歴史においては征服や政権奪取といった「暴力」を契機として「権力」が成立したパターンが多い。しかし、果たしてこれは「権力」と呼べるのだろうか。むしろ「支配」という言葉の方が妥当性があるように思われる。
では、権力が誕生し、維持されるというある意味理想的な状況における絶対的要件とは何か。それはマックス・ウェーバーが述べている「正当性」ではないだろうか。権力者に「正当性」がないとなると、それは権力の下にある人々の不信を招くだろう。不信が革命への最大の火種であることは歴史が証明するとおりである。
5 「反動的衝動」
㈣において私は、「権力」と「支配」を区別した。次は(権力に対する)「服従者」と(支配に対する)「被支配者」に目を転じ、政体との比較を併せて検討することで、いかに「支配」「権力」が脆いものであるかを示したい。
それにあたって私はおよそ普遍的な心理的感覚、抑圧や閉塞に対する「反動的衝動」を主張の核に据える。「反動的衝動」は本能的(精神現象的)でもあれば理性的でもある(なお、私は「理性」という言葉をここでは自己抑圧的な言葉としてではなく、推理能力的に用いる)。精神は自己反省的に対自的実在として「我々を」観察する。それに対して理性は理念や理想を結果の産物として尊重し、言葉と一体化することによって「世界を」観察する。
「反動的衝動」は精神の働きによって「閉ざされている」という抑圧・閉塞、「解放されている」という抑圧・閉塞から逃れようとする、いわば精神による矛盾を起点としている。そして結果として「状態」が生まれると、これを推論し、与えられた環境を観察する。そしてそれに是非を付けるのであるが、理性は世界を認識することによって(すなわち、環境の良し悪しを判断するにつけて)、自らの精神へと立ち帰る。これを繰り返すと、自己が環境に対して観察を鋭くしてゆく。やがて環境に対して否定的な側面を次々と探し出し、否定的な弁証法に陥る。言わずもがな、その矛先は「権力者」「支配者」に向けられる。我々人間が長い歴史の中で「自由」と「平等」という理念を主張し続けたのは絶えざるこの「反動的衝動」によってである。
ではこれが政体とどう関わっていくのか。「反動的衝動」が起こりやすい順に並べて行くと、おそらく、「支配型」権威主義・「閉鎖的」民主主義・「権力型」権威主義・「競争的」民主主義の順であろう(なお、ここにおいて民主主義の類型の名称はR.ダール『ポリアーキー』を参照)。「支配型」権威主義とは、無理やり被支配者のテリトリーに足を踏み込むようなもので、そこには微かな「正当性」も認められない。例えばフランス革命後のジャコバン派独裁があり、それは「権力的」ではなく「支配的」であった。強烈な抑圧体制を築き、反対者を処刑し、結果、約1年しか継続しなかった。「閉鎖的」民主主義とは、「全体主義」といってもよいものである。「全体主義」の特徴として、自律的・排他的なイデオロギーが民衆の関心の原点となり、大規模なプロパガンダによって大衆を巻き込むというものである。しかしこれは歴史的には、例えばファシズムは労働者階級との絶えざる闘争であったし、ナチズムは「異質性」を排除し民族第一主義をとるものであって、どちらも(個体的な)歴史が生み出し、(世界的な)歴史によって葬り去られた。「権力型」権威主義服従者のテリトリーに入り込んでゆくものの、一定の「正当性」が表面に表れているため、反動が起こるのに時間がかかる。しかし、「政治」という深くテリトリーに入り込む中で(特に権威主義においては)少数者もしくは一人の権力者がスキャンダルを起こした瞬間、一気に不信は膨れ上がり、崩壊へと向かう。「競争的」民主主義は多党制の中で服従者の声を大きく反映させたものであり、これはむしろ服従者側がテリトリーを解除して政治に向かっていくものである。よってこの体制も表面的には「正当性」をもって受け止められるが、実践となると困難を極める。競争が激しいほど、決定力が薄れ、「動かぬ政治」と化してしまうからだ。だからといってシステムを細分化して二院制にしたり、与党・野党に分けたり、三権分立を徹底しても、「権力型」権威主義と同じ穴にはまるだけである。
これらはあくまでモデルに過ぎない。しかし「反動的衝動」という否定的な弁証法が導く先にあるのは、「支配」「権力」の無力化であり、アナーキーへの志向である。
6 権力と対峙するもの
政治において権力と深い関りをもって対峙してきたのは思想(ロゴス)であることは疑いがない。思想こそが政治的変動・発展・革命の総機縁である。思想家は、(政治的であってもそうでなくても)時代の創造者である。
これに対して、「神」という権力に対峙するもの、これは技術(テクネ―)である。叙事詩に始まり、悲劇・喜劇、彫刻、音楽・・・。これらは元来神との対峙として想像されたものである。それは一方では神の姿が表象されたものをすなわち神が芸術者の前に立ち現れたものを、他方では自らの精神(自己意識)を、一体化させて形として残してゆき、これを信仰へと昇華する。「最初の芸術作品は直接的なものであり、そのような作品として抽象的で個別的なものである。この作品の側からすると、それは直接的で対象的な様式の外にでて、自己意識のほうに向かって運動してゆく必要がある。これは他面では、この自己意識の側もそれとして祭祀のなかで、〔対象と自己意識の〕区別を廃棄することに向かわなければならないのと同様なのだ。その区別は自己意識にとって、最初みずからの精神に反して与えられていたものであるけれども、祭祀にあってその区別を廃棄することをつうじて自己意識は、それ自身において生気を与えられた芸術作品を創造することへと向かうのである。」〔ヘーゲル精神現象学』(下) ちくま学芸文庫 熊野純彦訳 425項〕
しかし、この均衡は時代とともに崩壊する。政治は「階級」の誕生によって無関心へと向かい、芸術はもはや信仰とは一線を引いたところに散在してゆく。そして産業革命に代表される近代ではもはや、思想と技術は一体のもの、「経済」という新奇な分野によって収斂されてゆく。思想の不在によって民主主義が形骸化してしまい、また「生きる糧」として技術が用いられることで、自由な創造力は道具化した。
近代化は、著しい「個体化」の総過程であり、そこでは政治的無関心、宗教的不寛容が横行し始めた。

第三編 平等
1 緒言
これから「正義」についての検討に入る。「平等」と「自由」という理念は現代性議論における最重要課題である。先述したように、「正義」とは理想的な社会制度を志向するものであり、これは日本では「正しさ」=「正義」と同義(microあたは類似)な語用をしているのとは異なり、英米圏において「正義」をjustice、「正しさ」をrightと明確に分けていることに則り、またrightは「善」すなわち「いかに生きるべきか」に関わってくるものとして解釈した。
さて、平等への道程とは、生まれつきの富の差異はもちろん、ジェンダー障碍者LGBTなど、様々な人々の普遍的なニーズをいかに「分配」するか、が課題となる。ここではこのような状況を「多様性」と呼ぶ。「平等」とはこの多様性の超克である。
第一編の西洋政治思想の概観において、アリストテレスは「配分的正義」を主張したことを紹介したが、これは「善」を「正義」に優先させる功利主義などにおいて多大な影響を及ぼしたが、これはある共同体における構成員の業績や能力に応じて利益を分けるものであり、圧倒的かつ不可避的に結果として虐げられる人々が出てくるという現象が起こる。したがって、現代では功利主義を克服するに派生して「配分的正義」から「分配的正義」への変革を求めるという傾向が顕在している。
現代正義論は、正義を善に優先させようとしたロールズに始まり、「正義」か「善」か、という議論が白熱している。
「平等」に関する議論はもはや(しばしば法律分野で言われるような)「機会の平等か、それとも結果の平等か」という議論を時代遅れなものとしている。
本編では、まず「平等主義者」の括りに入るといわれるロールズが「正義の二原理」を概観することではたして平等主義者であるかを検討し、次に現代主流となっている二つの平等論の対立、ドゥオーキンの平等論とアマルティア・センの平等論を概観し、最後に現代における大きな不平等問題、トマ・ピケティがデータで示した現代の深刻な状況から、どのような平等論が求められるのかを検討する。
2 ロールズは平等主義者か
「公正としての正義」〔justice as fairness〕―これはロールズが掲げたスローガンである。「公正な社会とは何か」、ロールズの問題意識はそこから始まる。
『正義論』は以下の文章から始まる。「真理が思想の体系にとって第一の徳であるように、正義は社会の諸制度がまずもって発揮すべき効能である。どれほど優美で無駄のない理論であろうとも、もしそれらが真理に反するのであれば、棄却し修正せねばならない。それと同じように、どれだけ効率的でうまく編成されている法や制度であろうとも、もしそれらが正義に反するのであれば、改革し撤廃せねばならない」〔J.ロールズ『正義論』改訂版 紀伊國屋書店 川本隆史・福間聡・神島裕子訳 6項〕。ここから、ロールズによる功利主義批判と新たな実行可能な正義の構想を展開していく。
先述した「公正としての正義」とは、「公正な初期状態において合意されるものが正義の諸原理なのだとする考え」〔同上 18項〕である。「公正な初期状態」とは何か。ロールズはここで一つの(そして理論の核となる)思考実験をする。公正な社会の実現のためには、多様性を超克せねばならない。そこで彼は、一定の当事者たちを「無知のヴェール」にかける。これによって、「当事者たちはある種の特定の事実を知らないと想定されている。第一に、自分の社会的地位、階級もしくは社会的身分を誰も知らない。また、生来の資産や才能の分配・分布における自らの運、すなわち自らの知力および体力などについて知るものはいない。・・・これに加えて、当事者たちは自分たちの社会に特有の情況を知らない。すなわち、その社会の経済的もしくは政治的状況や、その社会がこれまでに達成できている文明や文化のレベルを彼らは知らない」〔同上 185項〕。この状態が「原初状態」と呼ばれるもので、この状態の下では、当事者たちは「多種多様な選択候補が各自に特有の状況にどのような影響を与えるのかを知らないまま、当事者たちはもっぱら一般的な考慮事項に基づいて諸原理を評価することを余儀なくされる」〔同上〕。ここから明らかなように、ロールズは社会契約説を発展させた形式で議論を進めている。
この状況でロールズが念頭に置くのは、「マキシミン・ルール」、すなわち想定しうる最悪の結果が他の制度を選択した場合における最悪な結果よりも優れていなければならないこと、また「正義感覚」という道徳心理を有し、発揮できる人格、「道徳的人格」の二つの要素が起点となり、自己中心的なエゴイズム、少数者を犠牲にする古典的功利主義などを一切排し、結果として次の「正義の二原理」が導かれる。

「第一原理―各人は、平等な基本的諸自由(思想・言論の自由など)の最も広範な全システムに対する対等な権利を保持すべきである。ただし最も広範な全システムといっても〔無制限なものではなく〕すべての人の自由の同様〔に広範〕な体系と両立可能なものでなければならない。
第二原理―社会的・経済的不平等は、次の二条件を充たすように編成されなければならない。
(a) そうした不平等が、正義にかなった貯蓄原理(正義にかなった社会を実現し保持するという負担を公正に分かち合うことに関する、世代間の了解事項)と首尾一貫しつつ、最も不遇な人びとの最大の便益に資するように。(=格差原理)
(b) 公正な機会均等の諸条件のもとで、全員に開かれている職務と地位に付帯する〔ものだけに不平等がとどまる〕ように。」〔同上 402~403項〕

勘の鋭い読者にはすでに明らかであろう。正義の第二原理は、不平等を一定の条件において「許容する」原理なのだ。いや、むしろロールズは「公正としての正義」というスローガンにおいて既に、平等云々には関心が薄かったように思われる。ロールズが志向したのはFairnessであって、Equalityではない。
ロールズが証明したのは、多様性の超克は「平等」に限ってのみ達成されるものではない、ということだ。
3 ドゥオーキン「資源の平等」
法哲学・政治哲学者ドゥオーキンが平等について深く考察している著書は、『平等とは何か』(sovereign Virtue: The Theory and Practice of Equality)〔木鐸社 小林公・大江洋・高橋秀治・高橋文彦訳〕というタイトルのものである。本著は、序において「なぜ平等は重要なのか」について言及している。「政府は市民に対して支配権を主張し、市民から忠誠を要求するが、このような市民全員の運命に対して平等な配慮を示さないどのような政府も正当ではない。平等な配慮は―これなしでは政府の支配は単なる暴政にすぎない―政治共同体の至高の徳(sovereign virtue)であり、現代の非常に富裕な国民国家においてさえその富の分配がそうであるように、ある国民国家の富が極めて不平等に分配されているとき、その国家が平等な配慮を示しているのか疑わしい」〔7項〕。
ドゥオーキンの主張する平等論は、まず平等には、「ある分配上の制度が人々を平等な存在として取り扱っていると言えるのは、資源を更にそれ以上移転しても人々の福利をより一層平等にすることができない時点に至るまで人々の間で資源を分配ないし移転する場合である」〔20項〕と主張する「福利の平等」と、「ある制度が人々を平等な存在として取り扱っていると言えるのは、資源を更にそれ以上移転しても、資源全体に対する各人の分前をより一層平等にすることができなくなるまで分配や移転がなされている場合である」〔同〕と主張する「資源の平等」があるとし、ドゥオーキンは「資源の平等」の理論を擁護する。それにあたって、ドゥオーキンもまた、ある思考実験をする。
「いま、船の難破で生き残った大勢の人々が、資源が豊富にあり現地人のいない無人島に漂着したと想定しよう。・・・これらの移住者は次のような原則を受け入れている。すなわち、島のどの資源に対しても、他人に先立って権利を与えられている者はおらず、むしろ、これらの資源は人々の間で平等に分割されねばならない、という原則である。・・・彼らはまた、資源の平等な分割について、私が羨望テストと呼ぶ次のようなテストを(少なくともさしあたっては)受け入れている。すなわち、ひとたび分割が完成したとき、移住者のうちの誰かが、自己の資源の束よりも他のある人間の資源の束を選好するようなときには、いかなる資源の分割も平等な分割とは言えない、というテストである。」〔96項〕。この前提をもった各人は、財やサーヴィス(といった資源)の競売が行われると想定する。一つの資源を基に繰り返し競売が行われることによって、各人が自分の選好に応じた資源を確保し、満足するに至る、という流れである。
しかし、このような状態が続くのは一時的にすぎない。人々は「運」によって選好を変え、自分が持つ資源の束では不満を抱くようになるだろう。そこで、「保険」が必要となる。人々の選好が変わるのは、それが各人の選択の結果として現れた場合と、病気や災害など、自然的な現象によって現れた場合がある。「保険」は、それに入ることで、こうした運に対して一定の補償を受けられることが可能となる。
このように、ドゥオーキンの平等論は各人における「意図」に合致したものであることが重要視されている。
4 アマルティア・センの平等論
もう一つの平等論を展開したのが、インド人の経済学者、アマルティア・センである。彼が平等論を詳細に展開した著書は、『不平等の再検討』(岩波現代文庫 池本幸生・野上裕生・佐藤仁訳)である。
センの問題意識は、「何の平等か」という問いから始まる。「平等の倫理分析におけるふたつの中心的な課題は、㈠なぜ平等でなければならないかということと、㈡何の平等かということである。・・・㈡の課題に言及することなしに、㈠の課題に答えることはできないだろう。この点は十分、明らかなように思われる。しかし、逆に㈡の課題に答えようとすると、㈠の課題にも答えなければならないだろうか。もしある変数x(xは、結果、権利、自由、敬意など、何でもいいのだが)に関して平等を支持する議論を成功裏に行うことができたとすると、われわれはxを比較の基準としてすでに行ったことになる。この視点からすれば、なぜ平等か(あるいはなぜ平等でないのか)という点に関して、それ以上に深く答えるべき問題は残っていない。この分析では、課題㈠は課題㈡の出来の悪い代用品に過ぎないように見える。平等をこのように見ることには、より興味深い本質的な論点が含まれている。すなわち、時の試練に耐えて生き延びてきた社会制度に関するいかなる規範的理論も、その理論が特に重要であると見なしている何かに関する平等を要求しているということである。」〔19~20項〕
センは、いかなる理論も、「焦点変数」(異なった人々を比較する際に分析の焦点となる変数。所得、富、幸福、自由、機会、権利、ニーズの充足etc.)を絞って平等を主張する限りでは、(経済的平等などを一切志向せず、もっぱら自由だけを主張したリバタリアニズムも含めて)皆平等主義だというのである。したがってセンの頭の中では、平等をめぐる議論が絶えないのはひとえに「焦点変数が違うから」に他ならない。
そんな中でセンが特に焦点を当てるのは、「機能」とその組み合わせの達成を可能にする「潜在能力」である。「機能」とは、「「適切な栄養を得ているか」「健康状態にあるか」「避けられない病気にかかっていないか」「早死にしていないか」などといった基本的なものから、「幸福であるか」「自尊心を持っているか」「社会生活に参加しているか」などといった複雑なものまで多岐にわたる」〔67項〕。センがこのような幅の広い概念の「焦点変数」を持っていたのは、おそらく少年時代、イスラム教徒とヒンズー教徒が紛争を繰り広げる市内にあって「貧困」というたった一つのことが様々な「焦点変数」のカテゴリーを抑制しているのを目の当たりにしたからだろう。貧困だけではない。先進国においても「多様性」は個人の「焦点変数」の障壁となる。豊かな生活と社会的発展には「潜在能力」が必要である、そうセンは考える。
5 ドゥオーキンvsセン
ところで、ここでドゥオーキンとセンを比較したい。ドゥオーキンの「資源の平等」もセンの「潜在能力」の平等も、たとえ相手が誰であろうと関係なく、すなわち「多様性」の問題を一切排して、「特定の」平等状態の実現を志向する。
ところが、ドゥオーキンとセンは、互いを(名指しで)批判する。
センの批判はこうである。「資源や基本財(ロールズの主要概念。「合理的な人間が他に何を欲していようとも、必ず欲するだろうと想定されるもの」〔『正義論』124項〕。権利、自由、機会、所得、富など)の所有を平等化させることは、必ずしも各人によって享受される実質的な自由が平等化されることを意味しない。なぜなら、資源や基本財を自由へと変換する能力には、個人間で差があるからである。このような変換に関する問題は、極めて複雑な社会的側面を含んでいる。・・・変換能力の差は、単に身体的な違いによっても起こりうる。例えば、貧しい人が栄養不足の状態から自由であるかどうか(すなわち、栄養不足に陥っていないかどうか)は、(例えば、所得が購買力に影響することを通して)その人の資源や基本財に依存するのみならず、その人の代謝率、性別、妊娠しているか、気候環境、寄生虫病にさらされているかなどの要因にも依存している。全く同じ所得と全く同じ基本財や資源を持っている二人の間でも、一方は栄養不足からは逃れる自由を持ち、もう一人はそのような自由を持っていないということが起こる」〔『不平等の再検討』55~56項〕。センは、ロールズとドゥオーキンの資源や基本財では、多様性を完全にカバーすることはできないと主張している。
これに対し、ドゥオーキンはセンのこのような批判を「的外れ」とし、以下のように応答している。「人々の資源の中には、金銭のような非個人的で移転可能な資源だけでなく、健康や身体的能力のような個人的資源も含まれる。・・・センの批判は最初の理論的次元で間違っている。代謝率とは明らかに個人的資源であり、したがって資源平等論は原理的にはそれらを平等主義的立場からも関係のある問題とみなす。・・・以上の記述(㈣における二つ目の引用)を率直に読むと次のような解釈が成り立ってしまうのではないかと思われる。すなわち、幸福、自尊心、共同体の生活における重要な役割などの達成の「複合体」を実現する能力において、人々は可能な限り平等にされるべきであると。しかし、センの記述がそのように解釈されるならば、それは大して新しくもない福利の平等の一形態を主張しているにすぎない。」〔『平等とは何か』403~406項〕ドゥオーキンが「福利の平等」を批判する理由は、人々の欲求はたとえ一つ達成されたとしても尽きることがないであろうし、不正な欲求を志向する危険すらあるからである。
この論争の背景には、紛争と貧困の中で生まれ育ってきたセンと、リベラル社会のアメリカで生まれ、ロールズ理論を継承したドゥオーキンの環境の差があるように思われる。しかし、センの批判とドゥオーキンの反論を検討してみると、二人の目指す平等像は同じ終着地点に達するように思われる。というのも、両者ともに、我々市民が「重要」だと思い込んでいる概念を列挙して一つの固有概念にまとめたような感を呈しているからだ。我々が本当に重要だと思うものは、「資源」の中にあるのかもしれないし、「資源」では満足しない人もいるかもしれない。「多様性」とは、選好まで含めて考えるととても難儀な問題である。
6 経済的観点から見る現状
では、現状として不平等はどうなっているのだろうか?ここでは所得格差に焦点を当てて現状を概観していきたい。
トマ・ピケティは主著『21世紀の資本』〔みすず書房 山形浩生・守岡桜・森本正史訳〕によって古代から現代のあらゆる所得格差のデータを用いて「r>g(r=return資本収益率。利潤、配当、利子、賃料などの資本からの収入を、その資本の総価値で割ったもの。g=growth経済成長率。所得、産出の年間増加率。)」という歴史的事実を示し、さらに資本主義が進展するにしたがってこの不等式が示す格差への現象はますます増大してゆくだろうという結論によって、世界に衝撃を与えた。すなわち、格差は歴史的必然性をもって現出するのであり、資本主義はそれを加速させるというのだ。
ピケティが示したデータで特に衝撃的なものは、ヨーロッパとアメリカの総財産におけるトップ10%が占めるシェアとトップ1%が占めるシェアである。2010年の段階で、ヨーロッパにおけるトップ10%が占めるシェアは総財産の約60%、アメリカにおけるトップ10%が占めるシェアは総財産の約70%を超えており、ヨーロッパにおけるトップ1%が占めるシェアは総財産の約20%、アメリカにおけるトップ1%が占めるシェアは総財産の約30%を超えている〔364項図10-6〕。
また、r>g の不等式に目を移すと、資本主義が発達したヨーロッパにおいては19世紀以降、常にこの不等式は大きな差を維持しており、r が3%後半~6%中間を行き来しているのに対し、g は0%台(小数点)~1%後半を行き来し、20世紀の傾向としてこれは拡大傾向にある〔367項図10-7〕。
これらが示していることは、もはや資本主義社会においては労働によっては格差の低減は不可能ということだ。したがって、ドゥオーキンとセンの平等論を紹介したが、彼らの目指す「平等」は社会的範囲にとどまらざるを得ない、経済的平等までを網羅してゆくことまではほぼ不可能だろう。
したがって、我々は視点を変える必要がある。
7 総括―平等とは何か
仮に、完全な「平等社会」、すなわち誰もが望んだ選好を手にした社会があったとして、それは果たしてユートピアと呼べるだろうか。むしろそうなっては、「政治」というものはいらなくなり、アナーキー状態、自然状態が生まれるのではないだろうか。だとすると、ほんの少しのきっかけで混沌は生まれ、紛争解決手段として権力が必要となるだろう。ここから先は第二編で論じたとおりである。ただ、そうなってしまってはもはや「正義」とは空虚な理念に没落するであろう。「正義の完成形が不正義」とは、なんとも皮肉なことである。したがって、我々には「何らかの不平等な状態」が提出された中で自らの「善」を追求してゆくことが求められるように思われる。では、「正義」はどうか?人間には多様性があり、さらに経済的現状は深刻な状態である。ロールズの提議した「正義の二原理」は抽象的だが、これからの社会の在り方の方向性を決めていく上では軸となりうるだろう。そういった意味では、ロールズの理論は、実行可能性がありどの批判者の代替的理論よりも魅力的に思える。
センは『不平等の再検討』において、インセンティブ論として一転して不平等を擁護するような論述をしている。「インセンティブ論は、様々な目的を推進するために人々に正しい行動をさせるためには、その人々にそれなりの誘因(インセンティブ)を与える必要があることを重視する。不平等は労働、事業、投資を促す上で機能的に有用な役割を担うかもしれない」〔249項〕。私は「行動」に加えて「能力」の発展のためのインセンティブにもなることを主張したい。第一論文第三編においてその理由は示せたと思われる。
とは言っても、もちろん平等は崇高な理念であり、著しい不平等や差別は撤廃されなければならない。
総じて、平等とは「目指すべきもの」ではあっても「成されるべきもの」ではない理想である。

第四編 自由
1 緒言
「自由」。この言葉ほど、都合良く使われ、曖昧なままにされ、それでもなお強大な力を持った言葉があるだろうか?多くの理論家が、自由について何ら説明を設けることなく、読者の念頭にすでにその意義があるかのように理論を立てる。
ところで、これは先に述べるほうがよいだろう。先ほど「平等」について論じたわけであるが、「自由」と「平等」はしばしば対立的に捉えられる傾向がある。しかし、「センの平等論」において述べた通り、いや、ロールズの「正義の二原理」と「基本財」の概念からもわかっていただけたと思われる。「自由」と「平等」は対立概念ではない。「自由は平等の応用分野のひとつであり、平等は自由の分布パターンのひとつである」〔アマルティア・セン『不平等の再検討』33項〕。そして、「平等」の総括において私は選好が完全に満たされた場合の自然状態への危惧を懸念したが、「自由」こそその最たるものといえよう。
したがって、「平等」同様、「自由」においても次のことが言える。「自由」とは、「目指すべきもの」ではあっても「成されるべきもの」ではない理想である。
2 ミルの『自由論』
おそらく数ある「自由」の意義について、最も魅力的で、最も基準とされているのは、J.S.ミルの『自由論』における言説だろう。要するに、「いかなる個人も、その思想・言動・行動において、他人に危害を加えない範囲で、いかなることも許容される」という定義だ。
なるほど、これは実に「最大多数の最大幸福」を志向する功利主義者であるミルにしては、「個性」を重視した、多数派に拘束されない、特殊な理論といってもよい。
しかし、ミルは主観・客観という「統一的な自己意識」と、「他者の意識」とを完全に見逃してしまっている。一体、「私」が想定しうる言動や行動の許容範囲と、「他者」が許容範囲としている言動や行動の基準は同一なのであろうか?否、そうではないだろう。人間は多様性があり、快・不快の感受性も人によって様々だ。
3 現代の二つの自由の概念―I.バーリンの『自由論』
では、現代においては「自由」とはどのように概念化されているのだろうか。
「自由」について二つの概念を示したのが、アイザイア・バーリン『自由論』〔「二つの自由概念」みすず書房 生松敬三訳〕であり、「自由」を「主体―一個人のあるいは個人の集団―が、いかなる他人からの干渉もうけずに、自分のしたいことをし、自分のありたいものであることを放任されている、あるいは放任されているべき範囲はどのようなものであるか」〔303~304項〕と、「あるひとがあれよりもこれをすること、あれよりもこれであること、を決定できる統制ないし干渉の根拠はなんであるか、まただれであるか」〔304項〕という二つの問いに分け、前者に対する応答として「他人によって干渉されない」自由、これを「消極的」自由と呼び、後者に対する応答として、「自分自身の主人でありたい、自己決定を下し、それに対する責任を持った主体でありたい」とする自由、これを「積極的」自由と呼んだ。
「消極的」自由は古代から自由の観念として広く用いられてきたものであり、先ほどのミルの『自由論』もおおよそこの分類に入る。
バーリンによれば、「積極的」自由には自我論的に難がある。「自己支配としての「積極的」な自由観は、人間の自己分裂を示唆するものであるから、この人格の二分化に手をかすのはいともたやすいことである。つまり、超越的・支配的な統制者と訓練され服従させられるべき一群の経験的な欲求や情念と」〔324項〕。
こうした点から、「積極的」自由の概念は全体主義への温床となったという。
4 「自由主義
自由主義」(リベラリズム)と一口に言っても、現代正義論においてはおおよそ二つの思想があるといってもよい。
まずは、「リベラル」―ロールズ、ドゥオーキンらがこのグループに入り、自由を重んじると同時に積極的な国家介入(「正しい」国家介入)を意図し、理論を展開したグループだ。
そして、「リバタリアニズム」―R.ノージックがこのグループで、こちらは更に自由を志向する。ノージックの目指した国家像は「最小国家」と名付けられたものである。「暴力・盗み・詐欺からの保護、契約の執行などに限定される最小国家は正当とみなされる。それ以外の拡張国家はすべて、特定のことを行うよう強制されないという人々の権利を侵害し、不当であると見なされる」〔『アナーキー・国家・ユートピア』ⅰ項〕。
ノージックはこのような立場から、同僚である(また、同じ年に亡くなった)ジョン・ロールズを批判する。特に攻撃の対象としたのが、「格差原理」だ。「・・・これは、才能に恵まれない人々がそれを基礎として他の人々の自発的協同を期待しうるような公正な合意だろうか。社会的協同からくる利益の存在に関しては、状況は対称的(同じ)である。才能に恵まれた人々は才能の乏しい人々と協同することで利益を得るが、また、才能の乏しい人々は才能に恵まれた人々と協同することで利益を得る。しかるに格差原理は、才能に恵まれた者と恵まれない者との間で中立的ではない。この非対称性はどこから来るのか」〔321項〕。ここから、格差原理への批判が展開されてゆくのだが、ここでは省略しよう。
自由主義」とはこのように、同じ「自由」という理想を掲げながらもその程度によって国家形態にまで影響を与えうる。ただ、この二者に共通しているのは社会契約説への回帰と、「善に対する正義の優位」である。
そして自由主義が経済的側面を見せたのが、「資本主義」である。そこでは自由競争が促され、「資本家」と「労働者」とで大きな階級の差ができた。
5 「自由主義」への反駁―コミュニタリアニズム
近年、「自由」という理想を掲げず、アリストテレス以来の「公共善」という理想を掲げ、リベラリズムに強力な反論を仕掛ける思想が登場した。マイケル・サンデルマイケル・ウォルツァー、アラスティア・マッキンタイアら、「コミュニタリアン」と呼ばれる思想家集団である。彼らの主張の核心には、人には家族や社会、その他「コミュニティー」があり、これこそが人間のあるべき人格(善)につながる、ということだ。
この中で、リベラリズムに恐らく最も強烈な鉄槌を下したのがM.サンデル『リベラリズムと正義の限界』〔勁草書房 菊池理夫訳〕である。この著書で、サンデルは自らが選択しない道徳的・政治的責務には拘束されない、そのようなアイデンティティーを志向することは、我々が特定のコミュニティーの成員であることの責務を放棄するものであり、「負荷なき自我」である、と主張した。
確かに、私の自我論も共同体論的であり、自我論に関しては賛同している箇所もある。しかし、これは政治的な議論になるとまた違った話となってくる。私がコミュニタリアニズムが興隆している現在に対して懸念していることを述べたい。
彼らは個人の人生を他人との関わりあいの中で出来上がった「物語」のように捉え、そのなかで「善」を形成し、やがてそれは共通の利害にかかわる、「公共善」を追求することに目標が据えられる。しかし、人間は多様性があり、個性を受け入れるコミュニティーもあれば、そうでないものもあり、結果として「公共善」の理念の下で多数派による専制功利主義的)、もしくはルソーの「一般意思」の理念がフランス革命に与えた歴史的影響のように、「公共善」の何たるかを掲げる独裁者を生み出し、全体主義的傾向へと向かうのではないだろうか。さもなければ、極端な話、コミュニティーが力を増せば増すほど、コミュニティー間での闘争が生まれるのではないだろうか。
6 総括―自由とは何か・・・「消極的」自由を越えて
これまで、自由に関するいくつかの理論又はその立場を見てきた。しかしそのすべては、「消極的」自由を擁護する、すなわち「干渉されないこと」が(「消極的」という言葉からもわかるように)要件として理論展開されてきた。それをおそらく「他人に危害を加えない範囲で」という形で一般的にしたのがJ.S.ミルだろう。しかしミルへの反論は以上の通りである。では「自由」とは一体何か。
仮に、強烈な専制国家があり、国民の言動を逐一監視し、違反者には処罰を与える、「抑制的な」状況が出来上がっていたとしよう。そして、そんな専制状態を率いていたトップにある支配者が倒れたと仮定しよう。その時、国民は自らを「自由だ」と思うだろう。なぜか?解放されたからだ。生きていく上での可能性が広がっていく希望を得たからだ。
では今度は、比較的あらゆる分野で「開かれている」国家を想定しよう。教養を積んだ知識人たちは、この社会にあって何を思うだろうか。おそらく、「自由」という理念に照らされた欲求・情念などを抑え込むべき「自己に対する」拘束、「好きなことをしてよい」という責任だろう。すると自然と「消極的」自由であったはずの状態が一気に「積極的」自由へと転換される。
この二つの国家想定から導かれる「正義」における「自由」とは、定義化できるものでも、そもそも言語化できるものでもない。「何かそこにあるもの」、すなわち「実感」である。
ところで、「自由には責任が伴う」というのはなるほど最もな説明である。しかし、「責任には自由が伴う」という言葉はなかなか、いや、全くといっていいほど聞かない。これは論理的には、「A is B」が真であるのに「B is A」が偽であるようなものだ。もしくは、「自由」が「責任」の一分野としてみなされているというようなものだ。
なぜこのようなことが起こるのだろうか?私には、「消極的」自由観が、責任概念を空洞化させたように思われる。すなわち、自由と責任は因果関係であり、原因たる自由が結果たる責任を生み出すのだが、「消極的」自由の普遍化はこの因果関係を崩壊させた。例えば、資本主義における階級秩序が、「主人」的立場にある者の自由に伴う責任を、「労働者」に転嫁させた。高度に組織化された社会になって、「自由」が理想化されるのに逆らって、「責任」は嫌悪され、他者に転嫁される疎遠な力として現出したのだ。

第五編 イデオロギー
「理性的に行動することと、有徳的に行動することとは二つのまったく違ったことがらである。理性は大きな善と結びつくこともあれば、それと同じ程度に大きな悪と結びつくこともあるのであって、そのいずれにも理性が加担することではじめて大きな効果が生じる。」〔ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第一六節 中公クラシックス 西尾幹二訳 193項〕
全体主義」は普遍的に暗黒の歴史としてみなされる。「全体主義」という響きがそうさせたのではない。「全体主義」が引き起こした惨事―迫害、暴力、戦争が、「独裁」という歴史的に「悪い」状況と一体化することによって、人々のイメージに「悪」として強烈なイメージを残した。
全体主義の稼働力となったのは、イデオロギー、すなわち社会思想である。そもそも、全体主義は独裁者の暴力的政権奪取によってのみ成り立ったのではない。かくだいする社会不安、権威主義的パーソナリティーが国民の中で融合することで、絶対的存在者の誕生を助長することも大きな要因となる。
ここでは、人々は感情的・非理性的であったわけではなく、むしろ(ハイデガーなど理性的であるべき何人もの哲学者が全体主義に加担したように)、国民一人一人のイデオロギーに基づく理性的な選択によって、惨禍が生まれたといってもよい。「理性なるものはかつても現在も、戦争のただなかではたらいてきたものなのである。」〔レヴィナス『全体性と無限』(上)岩波文庫 熊野純彦訳〕
理性は外的自然を支配するだけでなく、内的自然すなわち自己をしはいするための道具的なものになり下がる。イデオロギーはその表出した形態として我々の目前に表れるのであって、理性的な何人もこれに無関心ではいられないのだ。「政治的無関心」を貫く「労働者」たちはその例外であるように思われるが、彼らとて非理性的ではない。労働者は自らの「搾取」(マルクス)された状態から脱しようと革命を志向するイデオロギーをもつ起爆剤なのだ。
我々人類は、「理性的動物」であり、「不安を抱く生き物」である、という命題が真である限り、信仰やイデオロギーからは逃れられず、絶えず過ちを繰り返すだろう。なぜならそこに「真実」という救済を求めるのであるが、それは経験的存在である我々にとっては多様性を極めるからだ。
我々は「テリトリー」に受容できるものを受け入れ、そうでないものを排除し、やがて一つのコミュニティーができる。各コミュニティーは互いに異なった価値観を有しているため、互いを軽蔑し、自らを正当化し、差別や紛争を引き起こす。歴史的闘争は、まさにこのことの連続ではなかったか。
現代において普遍的な自由主義・価値相対主義は、こうした歴史を繰り返そうとしている。では社会主義が理想的なのだろうか?それは誰にもわかるまい。政治哲学の未来に対して投げかけられる問題意識は、もはや「ユートピア」なるものの不可能性を探ることではないだろうか。

第六編 「善」の限界
これまで私は、「平等」と「自由」という社会制度的な「正義」の枠組みについて検討してきた。本論文の締めくくりとして、現代ではこれに対置されているかのように正義と優位性を争っているもの、「善」、すなわち「道徳」と(はるか昔から)呼ばれるものについて、その限界を示したい。
「哲学者たちは総じて、道徳を科学として取り扱うとなると直ちに、笑うべき硬直した真面目さをもって、甚だしく高級なこと、厄介なこと、荘重なことを自ら要求した。彼らは道徳の基礎づけを欲したのだ。―そして、これまでどの哲学者も、道徳を基礎づけたと信じた。しかも道徳そのものが「所与のもの」と見なされてきたのだ。」〔ニーチェ善悪の彼岸岩波文庫 木場深定訳 149~150項〕
古代ギリシアから現代にいたるまで、あらゆる哲学者は「善く生きる」とは何か、という問いに答えようと躍起になって、道徳の神髄を探してきた。そしてこれは宗教にも言える。神の言葉が「善さ」の基準として扱われ、また「習慣」もそうだ。どこの誰が決めたかわからない格率に従って、やがて「法」という普遍的価値を有する御立派なものが出来上がった。しかし、結果我々はどのような生活をしているだろうか?法や規範という「見えざる眼」によって、その範囲内での思考、その範囲内での行動しかできなくなっているではないか。「あらゆる道徳は《放任》とは反対に、「自然」に対する、また「理性」に対する暴圧の一端である」〔同上 153項〕。
カントを例に挙げてみよう。彼は『実践理性批判』という婉曲的な道徳論を世に出し、道徳の基礎づけを「道徳法則」というたいそうなネーミングをつけ、「定言命法」をその手続きとし、道徳論を綿密に展開して見せたのだが、それに先立って『道徳形而上学原論』というこれまたたいそうな書物を出版し、「義務論的倫理学」を展開させたのだが、彼の生涯はどうであったか。これは何ら彼の生涯を読みあさる必要もないだろう。自分が生み出した道徳の基礎が、彼の人生を縛り付け、本来自由であるべき生き方を制限し、時に苦悩させた。また彼は70代という老年でありながら『人倫の形而上学』という本(法論・徳論からなる)を出版し、死刑を肯定し、「応報刑論の生みの親」とまで呼ばれるようになったが、彼の矛盾多き倫理学、また人生を鑑みても、よく世間は彼の死刑肯定論を全面的に支持するようになったものだ。
このようなこと(道徳論と彼の人生の矛盾)は、他の哲学者にもいくらでも見られる例である。一体、ソクラテスが毒を飲んで死んだことには意義があったのだろうか。
多くの人々は、自らの経験的要素から「徳」なるものを定式化し、これを「信条」という尊大な名前を付けるのだが、これが果たされて世を去るものはいないといっても過言ではないだろう。「嘘をついてはいけない」とはもっともなことである。しかし、うそをつかずに生涯を終える人がいるだろうか?
私が言いたいのは以下のことである。すなわち、「道徳」とは「教義」ではなくて、個体が他者と触れ合ったときに生じる意志としての人間に属する「性質」である。また、仮に「道徳」すなわち「善」が「教義」と化したら、それは「自由」や「平等」といった「正義」の要件と対立する、もしくは優越を競うことになる。
ニーチェが繰り返し述べている「力への意志」という言葉は、的を得ている。「意志」は「意欲」と呼んでも差し支えないだろうが、人間の欲求すなわち「本能」は「理性」と必ずしも対立しない。むしろ「意志」それ自体が、本能と理性を包括して表出されるものなのだ。
我々は、形式化された世界から超克する必要がある。これは啓蒙ではない、ただ「気づいたらそこにある世界」は存在している保証も、普遍的な共有空間である保証もどこにもない。私はエゴイストになるつもりはない、私は「私の」良し(good)とすることを、必要とあらばしていくつもりである。しかし、価値を普遍化することは愚かであり、逆説的であり、底なし沼に足を自ら突っ込むようなことなのだ。
我々は賭けをしようではないか。人生は苦悩である。時に我々「幸福」を望む人間は、自己の「不幸」に際して自らの運命を憎む。そのとき何が起きるか。「自己嫌悪」、もしくは「自暴自棄」の感情である。一見類似しているこれらの言葉は、様態からして異なっている。すなわち、「自己嫌悪」は自らを放棄する方向へ、「自暴自棄」は強情から自己を克服する方向へと向かう。一体どちらに傾くのか、これこそ「善」を成す機縁となりうるものであり、すなわち「自らによる」人格形成の始まりとなる。賭けてみようではないか。